地味に謳うは偏向日記

ひたすらヒビに潤いを与える墾田です。脳内通称、ジミヘン日記。

空に星が降る夜は

「強く励ましたりなんてせずに、優しく甘やかしてくれます。

別にそのままで良いと、そっとしておいてくれます。

だからこそ、強く強く励まされます。」

二つ前の冬の日、あの「シブツタ」で、自分の大好きな音楽に、自分が書いたこの文章がそっと添えられてるのがとても嬉しかった。

先週末はその大好きな音楽に浸ってきました。

 

冒頭の文章を書いた日からまだほんの少ししか時は流れていないのだけれど、今もこの言葉と寸分違わず同じ感情でいるかというと、少し違うような気がしています。

たぶん、その間にわたしはすっかり社会人になってしまったし、母が自分を産んだ歳に追いついてしまったし、見える景色が少しずつ変わってしまったんだと思う。

こないだふとツイッター
「いつまでも同じ笑顔で同じところにいてくれる存在なんて大仏様くらいだから気をつけたほうが良い。」
なんて言ってみたりもしたけど、よくよく考えたら自分も自分でどんな荒波にも流されずに同じ場所に居なきゃ、大仏様の笑顔さえ遠のいて見えなくなるんだもんね。
流されてくなかで、少しでも流されないように掴んだり頼ったりするものも変わってくし、変えてかなきゃいけないんだろうね。
世の中本当にハードモードだ。

 

だけど、今回のワンマンライブを観に行って、自分から見える景色が変わってきた今も、わたしは変わらず彼らの音楽が大好きなんだなあと実感した。わたしにとって、流されないように掴んでたいもののままだった。

背中を押さずにいてくれるから、背中を押してもらえた気になる。

相も変わらずそういう甘やかし方をされている気分になった。

 

大きな顔して言うことではないけれど、残念ながら、わたしは楽器や音作りの詳しいことが何もわからない。だから、例えばあの曲はここをこう変えたからより重厚に聞こえ始めたんだ、とか、あっちの曲はここをああ変えたからより鋭い音になったんだ、とか、そういうことがわからない。
そういうことがわかれたならもっといろんな角度から楽曲に浸れるのかと思うと、ちょっとだけ悔しい。

 

でも、それでも、昨日見たライブでの音楽たちはなんだか少し今までと違って感じた。

言葉にしてしまうとシンプルすぎるのだけど、ただただ、もっとずっと格好良くなっていた気がした。

何かと何かを比べるような言い方は好きではないけれど、今までのライブで聴いていたはずの耳に馴染んだ曲たちも、一層重厚で鋭く、格好良くなっていた気がした。

 

日々色んなものがぐるぐるまわって流れていて、自分の変化さえわからないのに、「きっとここが変わったんだ」、なんて全く分からないけれど、少なくとも、今のわたしにとって、声も、音も、笑顔も真顔もしかめた眉も、振れる頭も揺れる景色も、何もかもが堪らなかった。

 

なんだろうな、まるで、すごく熱い氷みたいだった。
すごく熱を帯びた、ひどく鋭利な氷みたいだなと思った。

その熱で蒸発して、ふつと幻のように消えてしまわないかとさえ思った。

 

格好良かった。本当に。

大好きなバンドだ、って、改めて思った。

Suck a Stew Dryを、もっと、ずっと、観ていきたいと思った。

始まった途端から終わらないでほしいと思ってしまった。

最高の夢ほど悪い夢、なんて言うこともあるけれど、まさに最高の夢のような時間でした。

 
-------
 
「辿り着けない終着駅
辿り着けないハッピーエンド
笑った顔が素敵だった」
 
 

日常に輪を掛けて憂鬱な梅雨の木曜日に家に帰るといてほしい3人の斎藤工

あまりの雨に毎日外に出るたび持ち物はびしょ濡れ足元もすべりがち洗濯物も乾かないしかし平日はまだ残されている。そんな、日常に輪を掛けて憂鬱な梅雨の木曜日、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 

6月ってなんなん?梅雨?わたしのゴールデンウィークどこ行ったん?

もしかしてもう2か月近く前に滞りなく終了してしまったん?マイゴールデンウィーク。

滞りなく終了するのは卒業式と結婚式だけでいいのに。

皆さまからのアツいご期待にお応えして次週日曜9時くらいから再登場しないかなゴールデンウィーク

いっそ明日だけでも良いからTOKYO FMをキーステーションに全国38局ネットでお送りしてくれないかなゴールデンウィーク

水曜・木曜って通常運行でもかなり憂鬱なのに、このままだと憂鬱に輪が掛かりすぎて輪投げならもう景品総取り。

もう戻ってこないとは知りながらまだ想いを馳せることをやめられない今年のゴールデンウィーク

早くも期待してやまないシルバーウィーク。

せめて家に帰ったら斎藤工とかいないかな。

 

ということで、タイトルの通りです。

 

日常に輪を掛けて憂鬱な梅雨の木曜日に家に帰るといてほしい3人の斎藤工

はいヒーウィーゴー。

 

(1)最近突然料理にハマり始めた斎藤工

「ただいま~…」って帰ったら奥からひょこって顔出してくれる斎藤工

「おかえり~。今日は元気が出るようにカレーにしてみた」と美味しそうな香りがする我が家(白基調でいい感じに明るい)。

「わ、ありがとう嬉しい~」

最近料理にハマってることはふたりの間では自明だから、おかえり、って話の続きに突然話題が変わってもごく自然に会話が成立するんですよね。

ローリエとローレルって同じもので呼び方が違うんだね。買うときに一瞬悩んだ。」だそうです。

「そうだねぇ、個人的には日本語の”月桂樹”が一番綺麗な気がしてる。」と答えると、

「うっわ、それ凄く分かる。」だそうです。

はい幸せってこういうこと~~~

 

とりあえず、家に帰ると斎藤工いるとしたらマンションのエレベーター乗る前に必死にメイクを確認しないといけない。大変。

 

 

(2)鍵を忘れてマンションのエントランスで困ってる斎藤工

「しまった、鍵置いてきた」

ってLINE来た。最寄りで電車降りたら。

「(任せとけ!的なスタンプ)」

「(頼んだ!的なスタンプ)」

「18:46に駅に着くから急ぐね!」

「転ぶ未来しか見えません。」

ってやり取り。

でも、結局ちょっと駆け足で家に向かうんですよ。だってエントランスに斎藤工待ってるから。

 

とりあえず、エントランスで待ってるとしたら駅改札出る前に必死にメイク確認しないといけない。大変。

あと、18:46に最寄り駅に着く職に就きたい。

 

(3)早くも次の連休の予定を立てながら意外にウキウキしてる不動産会社勤務の斎藤工

不動産会社はたいていGWと毎週水曜日がお休みなんですよね。だから昨日がお休み。

わたしが最近「ゴールデンウィークってどこに消えたの~~~」って言ってたから、休みの日にゴールデンウィークの思い出を何となく振り返りつつ家でゆっくりしてたらだんだん次の予定立てたくなってきて元来の「事前にきっちり行き先決めて計画を立てたい」性格がくすぐられて家でコーヒー飲みながらずっと「次に行きたい場所」調べてたらしい。

で、今日会社帰りにパンフレットとか収集してきたんだって。

「遊園地?観光地?ショッピングモールもいいねえ…」

わーなんかいっぱいサジェストしてくれる。何これ。嬉しい。

疲れてる時にそんなこと言われても…とか思わない。だって目の前には柄にもなくウキウキしてる斎藤工

ちなみに今そっとグドモの歌詞差し込みました。

ちょっと笑いながら(脳内はデレッデレ)となりに座ってPC覗き込みつつ、「なんでそこにショッピングモールが入るの?」って聞いたら、

「いやぁ、さ?最初は温泉でゆっくりもいいかなって思って。でもさ、君遊園地とかも好きでしょ?だからナガスパ?とか、見てて。そこなら温泉も遊園地もあるみたいだし。でも、近くにアウトレットモールもあるなあと思ってHP見てたら、だんだんインテリアとか家具とかほしくなってきてさ。でもさ、そういうのって選ぶのも買うのも時間かかるでしょ?そしたらさ、ふたりでアイデア出し合ってまる一日かけて部屋をリニューアルするとか楽しそう!って思ってきてさ、でさ、だったら全部揃えられそうな大きいショッピングモールとかさ、…」

何この人ちょーかわいい。

いろいろ見てたらいろいろ浮かんでいろいろしたくなったんだねかわいい。

あと思考の順番通りに次々説明しようとするから語尾が全部「○○でさ、でさ、」って最早口癖みたいになってるのちょーかわいい。あんたがたどこさも裸足で逃げ出す可愛さでかわいい。

「でも意外だね。人ごみとか、苦手だと思ってた。」って言ったら、

「…今回さ、やっとお互いの予定合わせられてGWに遠出してさ、凄く楽しかったんだよね。だからさ、人混みがーとかばっか言わずに色々見てみたいと思ってさ。」

何。何それ。ちょっと照れてるの何それ。見よう。行こう。次の連休もおでかけしよう。どこまでも行こう。なんならもうこれを機にずっと延び延びになってたお互いの実家へのあいさつとか行こう。あなたの家から行こう。あなたの家どこ?肥後?肥後どこ?熊本?熊本のどこ?熊本なら温泉あるね。いいね、温泉行こう。

 

わたしはとりあえず温泉に行って休みたいです。

神様のデバン

夢があるなぁ、と思った。

5月22日、とある音楽イベントを開催した。
「開催した」なんてたいそうな言い方をしてしまったけれど、わたしは本当に少しだけ手伝いをできた程度で、「あの1日を開催するのにどれだけのことが必要だったのか」をもっと知って、もっと学んで、もっと色んなことで役に立てるようになりたいと思った。自分に出来ることを、もっと増やしたいと思った。

福岡に越した頃、aikoアジカンラルクを愛してやまないお兄さんに出会って、もれなく、彼が主宰を務めるイベントにも出会った。
東京で重ねてきた「ロックの夜明け」が、「ロックの夜明けフクオカ」として新たに動き出すタイミングだった。
5月22日は、「ロックの夜明けフクオカ2016」としてのイベントだった。

BUMP OF CHICKENのロゴを身につけたたくさんのひとが海辺へ向かうなか、"藤原基央T"を着て「やっぱり、どうしてもこっちのライブが観たいって思って!」と、駆け込んできてくれた女の子がいた。
こんなにも一生懸命に来てくれた子の「行き先」になったのかと思うと、本当に嬉しかった。

当日は、受付だったりリアルタイム情報の発信だったりで基本的に会場に張り付いていた。
時間を見つつ他のスタッフと受付を交代して、いくつかはライブを観にフロアへ行くことができた。

とあるバンドの、最後数曲となったときだった。
少し間隔を空けて隣で見てらした方が不意にわたしの肩をトントンと叩き、ライブの音が響くなか、耳打ちで一言
「このバンド、売れそうだね。」
と、仰った。

その方は、「ロックの夜明け」との出会いが無ければ、一生お話の出来る機会なんてない筈の方だった。
ある種、最早生ける伝説のような認識でさえいた。

以前一度お会いして、ご挨拶をして、皆でお酒を飲みながら、福岡のこと、音楽のこと、色んなお話をさせていただいた。
その方が、この日の深夜、「about a ROOMよかったな」と呟いてくださっていた。


アヒトイナザワ、なんて、スポットライトを浴びるべくして背負ったような綺麗な名前のその方は、そのステージに真剣な眼差しを向けると同時に、楽しそうに笑ってらした。

夢があるなぁ、と思った。
頑張る、夢を追いかける、って、本当に素敵なことだなぁと思った。

-------

「神様どうかひとつだけ 願いを叶えてくれないか
このまま夜が明けないでほしいんだよなあ
ねえ今夜だけは」

ハローハローハロー

大人になればなるほど、思ったほど大人にはなれていないなあと思う。

朝だって起きられないしピーマンだって食べられないし我儘を通さず上手く諦めることも出来ないし。

26歳って、もっと大人だと思ってたのになあと。

でも同時に、描いていた「大人」ってどんなだったろうなあとも。

子供の頃に「うっそだ〜。そんな生活無理だもん〜。」と思っていた「大人がよく言ってるけど信じられないアレ」にはわりと近しいところに来てる部分があって、もしかしたらとっくに大人になってしまったのかもしれないとも思う。

たとえば「ほとんど外食やコンビニで済ませる」だとか「テレビは見ない」だとか「休日を一人で過ごす」だとか。

「あ、ビールで大丈夫です」だとか、「あ、砂糖いらないです」だとか。

きっと10歳のわたしが見たら、「大丈夫?」って甘ったるいカフェオレを差し出してくれるんだと思う。

とは言え、もしも今もう一度18歳に戻って大人への道のりをやり直せるとしても、わたしはきっと「今ここでセーブできますか?」って聞くなあと思った。

なんだかんだ言って、今の毎日がわりと愛しくて堪らない。

だって、わりと頑張ってなんだかんだと積み重ねてきた成果がいまで、わりと頑張ってあれやこれやと知ってきた結果がいまで、わりと頑張ってあちらこちらと走って辿り着いたのがいまなんだよなあ。

ただ、そのなんだかんだあれやこれやあちらこちらのすべてが正しかったか誇れるかというと、「ああ、どこかで力を抜くことを覚えてしまったなあ」と引っかかる部分がいくつもある。情けないなあ。

例えば、人生のやり直しに「一旦セーブ」しようとしてしまった数行前のわたしなんてまさにそれ。

頑張らないとなあと、思うんです、最近特に。

大人だからね、頑張らないとなあ、と。

-------

「ハローハローハロー 今の僕はどう見えてますか?ハローハローハロー 誇れる背中をしていますか?」